萱嶋家 家系図
萱嶋家姓元松井ト称ス
紀元弐千弐百五十四年(昭和五年ヲ去三百三十六年後陽成天皇在位文禄三年
関白豊臣秀次ノ代筑前国主鞍手郡吉川郷下村而為大庄屋持テ拾町四條歩ヲ呈起工し
鉛溜池ヲ築城ス其功ニ依り文禄七年国主ヨリ贈姓萱嶋
萱嶋 加兵衛次成(初代) − 弥七(二代) − 仁兵衛(三代) − 甚太郎(四代)
嘉兵衛(五代) − 嘉次郎(六代) − 茂七(七代) − 兵七(八代)
精作(九代) − 藤太郎(十代) − 兵蔵(十一代)
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兵三 勝蔵 丈志
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政吉 − 政一 − 太久馬 − 太二 − 凌平
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卵之吉 訓史
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折平
萱嶋家酒造の歴史
(若宮町史(上)第5編 若宮の近代 第4章 産業と経済 152項〜153項の酒造より)
酒造りは古くから行われてきたが、金生の石井家では延享元年(1744)に始まったといわれ、
今も堂々たる酒蔵が残っている。
明治初期の若宮には、九軒の酒屋があったという記録が、『地理全誌』に残されている。
明治八年には、福丸で二島酒造が製造を開始している。この年の酒類税則により、
規定の酒税を納めれば酒の製造は自由になった。
明治四十四年の記録では、鞍手郡には一三軒の酒造家があり、酒類商が三五一軒となっている。
大正十四年から昭和四年には、若宮に三軒の酒屋があり、『鞍手郡史』によると
酒造石数は次のように記されている。
若宮村 福丸 萱島丈志 三七三・二九〇石 (昭和四年)
同 金生 石井産業株式会社 一四〇七・四五八石 (昭和四年)
同 福丸 塩田殖産株式会社
福丸醸造部 四六八・三四二石 (昭和三年)
昭和十年代になると原料の管理統制もあって石井産業株式会社を残すのみとなった。