校長日記11    
 新しい「かまど」と「新屋根」
 前回の日記11「竃(かまど)を移す」に、「炊飯が終わった後、いったん地下の消壺に燃えさしの木と炭を入れて、その場でじょろを使って水をかけ、火を消して蓋をすることにした。」というくだりまで書いた。実際にやってみると、「じょろ」で水をかけたぐらいでは完全に火を消すことは難しかった。「じょろ」は止めてバケツの水を直接かけることに決めた。まだ十分に火の勢いのある燃えさしを地下式の消壺に流し込む、そのうえでバケツの水をかけて火を完全に消してしまう。火が消えたことを確かめて燃えさしのマキを金網で作ったカゴに放り込んで水気を切る。乾いたところで次の炊飯時の燃料として再び使えば、薪を完全に燃料として使い切ることができる。新しい「かまど」周辺に必要な道具・小物はいろいろある。薪、まき割り、火ばさみ、じゅうのう、箒、火種に使う新聞紙、マッチ等などである。これらを一体のものとして整理できる薪の収納棚を祝原さんに作ってもらった。この作業が終わったのは、台風襲来の直前9月3日(土)のことである。新しい「かまど」の向こうには、河中利通さんが作ってくれた木の香も新しいテーブルと椅子がある。これは、子どもゆめ基金の助成活動「幼児・児童のための植物栽培・活用体験活動」に参加する幼児のために新しく作ったものである。これまで幼児を主な対象にした体験活動をしたことがなかったので、今ある机も椅子も幼児には大き過ぎる。新しいテーブルと椅子は保育園・幼稚園の園児たちにもぴったりである。そのうえ、真新しい木の目に柿の渋が塗られている。これは会員の野見山博明さんに塗り方を教えてもらった。体験合宿の参加者にも柿渋塗りに加わってもらって合わせて3回塗った。生活体験学校の備品に柿の渋を塗ったのは初めてのことだった。
 ここまでくると、「大屋根」の改修の大半を終えたことになるのだが、残るところは、従来、「ペンキ小屋」と称していた老朽化した小屋である。ここには、使い残した多数のペンキの缶や古いクワなどの農具、リヤカーの骨組みだけの物など等が収納されている。この部分の壁と屋根は耐用年数を超えていて見苦しくなってもいる。横(東西)6m50、縦(南北)9mある。柱を立てて屋根を新しくすれば、大屋根と一体の空間として使用でき、完成すれば活動の成果も増すものと思われる。9月1日(木)、全職員の出勤日に小屋の中のものを外に出して片づけた。どこを片づけても同じことだが、使うこともないような品々が次から次へと出てくる。出してきたものをどこに置くか考えるだけでも頭を悩ます。ほぼ片づけ終わったかどうかという区切りがついた。職員が全員そろって出勤している強みで傷んだ壁の撤去まで済んだ。今日中にどこまで進むかなと案じていたのが杞憂に終わった。解体してみると始末に困るものがほとんどだったが、役に立つものも一つだけあった。長さ一間半以上もある整列板が出てきた。原君に頼んで洗ってもらったら十分に使える状態である。幅があるので丸のこで縦にわいてもらって、交流センター内の教室の「あがりがまち」に置いたら良い塩梅になった。幼児が靴を脱いで上がり降りするのに十分な助けになる。早速役に立っている。9月11日、柱を立てる基礎石・束石を定置した。このくだりは祝原政弘さんの采配で進んだ。弟の高志と原君が手伝った。13日には木材の買い出しに行く。21日には木材の墨付けと切り込みが進む。このくだりは河中利通さんの独壇場で他の者は手出ししない。この時期は稲刈りの時期でもある。米を作っている河中さんは、天気の加減を見ながら棟上げに向けて急ピッチで作業を進めた。22日(秋分の日)には、早くも棟上げを終えた。23日(金)は全職員作業日を設定したりして、25日(日)には垂木を打ち終えた。このくだりは祝原さんの奮闘による。いよいよ、新たな屋根の完成が近い。この屋根は「新屋根」と呼ぶことにしたい。
(飯塚市庄内生活体験学校々長、平成28年9月25日)