山上 憶良 と 大伴 旅人

           
         飯塚市歴史資料館には 山上 憶良 と 大伴 旅人の 歌碑があります  (平成18年10月記載)


                          
                  博多からだと 国道201号線 八木山峠を越え 飯塚市役所を過ぎ
                 JR新飯塚駅を右手に見ながら陸橋を超えた「立岩」の交差点を左折すると あります

                  駐車場には 向かって右手は山上 憶良、左手は大伴 旅人の歌碑です


               
                         山上 憶良の歌碑

              ここ 「嘉摩」の地は古く筑前の国の一郡であり、万葉歌人 山上 憶良が 国主として
            たびたび巡行に訪れたところです



              歌碑の解説

              士(をのこ)やも空(むな)しくあるべき 万代(とろづよ)に語り継ぐべき名は立てずして

             歌意

             男子たるものは 空しく世を過して よいはずがあろうか
             後のちの代まで 語り伝えられるべき 功名も たてないままで・・・・・。



             733年(天平五年)74歳の憶良が 病気を見舞ってくれた 19歳の青年に
             自己の人生に対する 万感の情を凝縮させて 青年を激励した 辞世歌です



                           
                                    大伴 旅人の歌碑

                

            歌碑の解説
                 
               験(しるし)なき ものを思はずは 一杯(ひとつき)の 
                                           濁(にご)れる酒を 飲むべくあるらし

            歌意

            考えても しかたのない物思いをするよりは 一杯の濁り酒を 飲むほうがよいらしい


            729年(天平元年)作の讃酒歌「酒を讃(ほ)むる歌十三首」の中の第一首です

             旅人は前年に 太宰師(九州一円を統括する最高のポスト)に赴任
            すでに 64歳の高齢で 一説には 左遷されたともいわれています
            酒こそわが人生 と 酒の快楽を豪語する 歌いぶりからは かえって 絶ちがたい
            悲しみが伝わってきます

            旅人は 酒を讃える秀歌を中国の連珠の文学にならい 十三首も連ねています


            第二首    酒の名を聖と負せし 古の大き聖の言の宣しさ

            第六首    なかなかに 人とあらずは酒壷に なりてしかも酒に染みなむ

                                                 (十三首の一部を紹介)


                            

                                        郡界石

                         飯塚市歴史資料館の敷地内に あります

                         嘉麻郡 穂波郡の境界に建てられた標石です
                         明治29年(1896)、両郡を併せて 嘉穂郡となりました