校長日記38

イノシシ現る
 今年(令和2年)のサツマイモの苗植え(1430本)は、次の通りである。
5.16 紅はるか 300本   (鹿児島県産)  イノシシ被害一覧
 6.16 紅はるか 250本   (馬古屏購入) イノシシ被害一覧
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 6.24 紅はるか 180本、なると金時200本 (馬古屏購入)
 6.27 紅はるか 250本  (馬古屏購入)
 6.28 紅はるか 120本  (馬古屏購入)
 7.10 紅さつま 130本  (鹿児島県産ツル返し)
 7月8日にイノシシに里芋を掘り返されたことを書いた。その後7月25日に開催した野菜作り講座「食育キッズ講座」の参加者から、「今まで自宅の畑を荒らされたことがないのに今年初めてイノシシに荒らされた」という話を聞いた。参加者は生活体験学校のすぐ近くの住人である。いよいよ生活学校周辺もイノシシの餌場として狙われることになったかと危惧していた。危惧が現実になった。令和2年夏 イノシシ被害 8月8日(金)、出勤してみると北の菜園のイモ畑が荒らされていた。初回のイノシシ出現から、ちょうど1か月後のことである。北の菜園は生活文化交流センター寄りの列から北へ向かってA,B,C,Dの記号を付けているが、一番北のD列の2カ所、一列南のC列の2カ所が掘られていた。南の西寄りの畑にも足跡が見られた。すぐさま、河中さんが自宅の米作用に使っていた電気柵を取りに帰って持ってきた。職員3名が協力して電気柵を設置した。単一電池8個を電源にしているというので、電池を買いに走った。もともと敷地全体は公園用地として新しいフェンスで囲われていたのだが、何分にも30年以上経過しているので、改修した一部を除いては裾の部分の大半は腐食してイノシシの出入り自由というフェンスである。夜間通電にセットして帰った。あくる日、9日に出勤してみると、C列3,4番が広く、7,8番がやや狭く掘られていた。職員の原君が、荒らされた模様からイノシシは若い子どものイノシシだろうと言う。連休明けに市役所担当課に駆除をお願いするとも言う。河中さんは、電気柵を北端のフェンス下の広い隙間に張り足して塞ぐ効果を高めようと試みた。明日の朝、その効果をみたいと期待したが残念な結果をみた。11日(火)の朝見たものは、C列9番の畝の半分以上が掘られて通路にはイモの皮が散乱していた。3日続けての被害である。初動の遅れを悔やんだが、いかんせんイノシシからサツマイモを守るという体験が全くない正平である。市役所への要請は生涯学習課から農林振興課へ、農林振興課から庄内支所経済建設課へという流れで伝わった。公共施設を除く一般的な場合は、被害を受けた市民から支所の経済建設課へ、そこから市役所農林振興課へ駆除申請という手順になるらしい、庄内支所経済建設課から2,3日のうちに駆除員が現地を見にきて盆過ぎにワナを仕掛けることになるという連絡がきた。堆肥小屋裏からイノシシ侵入防止柵用金網を張り始めたが10枚では数が足りない。この部分は下部の隙間が大きく開いていて、大幅に金網を被せなければならない。メッシュ金網10枚を買い足すため、古谷金物店を2往復する。その間、天候が曇り始めたが、仮止めしたりしながら急ぎ仕事で20枚を張り終えた。金網の効果もあってか翌12日(水)の朝は、イモ畑を荒らされた形跡はなかった。4日目にして被害は発生しなかったのだが、油断はならない。この日は津山、祝原、高志の3人で、前の日の金網を縛り直したり、新たに縛ったりしたが金網がまだ足りない。さらに10枚買い足して昨日の分を入れると西側フェンスの補修だけで30枚を張ったことになる。さらに、電気柵の電源に自動車のバッテリーを使おうということになって、外部バッテリーケーブルを購入して取り付けた。雨に濡らさないように簡単な雨除けも作ってバッテリーを収納した。これで電圧も確保できたことになる。8月12日から18日の朝までの一週間、被害は発生しなかった。18日の9時過ぎに箱ワナを仕掛けてもらうことになった。捕獲員の浅田さんと野見山博明さん、庄内支所経済建設課職員の3名がこられた。堆肥小屋の裏、フェンスの下部の隙間が大きく開いている部分のメッシュ金網2枚を取り外して、元の形に戻した。イノシシはこの隙間から侵入したのである。箱ワナを据えて、ちょうどワナを囲うようにメッシュ金網を張り直す。始めてみると金網が足りない。勤務日ではないのに河中さんが応援にきてくれた。鉄筋と金網の調達も河中さんに頼んだ。餌は糠である。一袋のヌカを箱ワナの奥に投げ入れる。ヌカをあさるイノシシの鼻先がテグス(釣り用の糸)に当たれば、箱の入り口のシャッターが落ちて閉まる仕掛けである。野見山博明さんから餌として青米一袋(約30キロ)をいただいた。鉄筋と金網を買って河中さんが戻ってきて、高志と二人で金網を張り直す。蚊に食われながらの暑苦しい作業が終わったころには11:30になっていた。終わってみれば結局、半日仕事になってしまった。河中さんがいなければこういう具合には進まなかった「わな掛け」であり、かつまた、相棒の高志の出勤日でよかったというべき「わな掛け」だった。8月19日(水)、イノシシわなに変化なし。15:00に早退して整骨院に行こうとした。出る前にウサギにサツマイモのツルを切り取って餌に与えようとイモ畑に出たところでイノシシの食害を見た。クリ畑1番畝の30株が掘られて、わずかに10株ほどを残すのみ。無残な状況に愕然とした。イノシシの進入路を考えながらフェンス際を見れば、確かにフェンスの外側は通行自由の進入路ではある。止む無く意を決してフェンスをまたいだ。鉄棒を打ち込み金網を縛りつけて、進入路を塞ごうと試みた。いささか頼りないフェンスではあるが、塞ぐ手立ては出来た。終わってフェンスをまたいで畑に戻ろうとするが、腕の力が弱くて簡単に跨ぐ(またぐ)ことができない。繰り返すうちに次第に情けなくなってきた。何度目かの試みの末、フェンスに上りつめて終わったが、わずかな作業に1時間を要した。これで良かったのか、どうなのか分からない。気づいたこと、自分一人にできること、それをしただけという結末であった。
 8月20日(木)晴れ、猛烈に暑い。津山、高志、、祝原、河中さんの4人勤務。朝のイモ畑は無残な被害状況だった。前日のクリ畑の1番畝の続き2、3番の畝は、各40株全てが掘られていた。合わせて80株、昨日掘られた1番畝の30株を合わせて110株の被害である。柿の畑のフェンス際の畝も2カ所掘られた。被害を確認して作業計画を協議した。着手の一番は、側溝(深さ150〜160センチ)の向こう側(北東方向)の法面から侵入したと想定して、排水溝側面のはらみ防止支保工のコンクリートを伝って侵入できないように合板の衝立を4カ所設けた。合わせてフェンス外側の通路1カ所を金網とトタンを立てて遮断した。着手の二番目は、フェンス下部の排水溝3カ所にブロックや自然石をあてがって出入りできないようにした。三番目の作業は、フェンスの破れの激しい箇所を合板で塞ぎ、残りの大部分は化繊のネットを外側から張り付けた。この作業が20日の作業の全てだった。
 8月21日(金)、猛烈に暑い。掘られたイモ畑の長さを岩村先生に手伝ってもらって巻き尺で測ってみた。一番北側のD列が、2.0、2.5、2.3、5.5m計12.3mあった。D列に続くC列が激しく掘られた。手前から3.0、1.5、3.0、2.2、3.5、2.3、3.5、7.0m、計26.0mだった。C列、D列を合わせて38.3mの被害であった。およそ1mに3本の苗を植えるので115本ばかりを掘られた計算になる。21日現在の被害の総本数は225本ということになる。保育園、幼稚園の園児たちに掘らせるイモであってみれば、むざむざイノシシの餌にされるわけにはいかないのである。
  (令和2年8月21日)