校長日記37

ニホンミツバチの採蜜
 これまで生活体験学校でニホンミツバチを飼うというようなことをしたことはなかった。話を聞いたことはあったが、自分でやってみようとは思わなかった。令和元年になってから、村瀬和彦先生が取り組んでおられるニホンミツバチの巣箱を見せてもらったり、話を聞いたり何度かするうちに次第に「やってみようかな」という気持ちになってきた。なにしろ村瀬先生には生活体験学校の野菜作りから果樹の植栽やら、これまで農事万般にご指導をいただいてきたので、先生の話はすっと頭に入ってくるように思考回路が出来上がっている。

 去年の10月の末に重箱式の巣箱を3つ目まで作った。職員の祝原さんに村瀬先生所有のトマトハウスまで同行してもらって、採寸するやら製作の要点を聞くなどした。作った巣箱は空のまま屋外に置いて雨風に当てた方が良いと言われたので外に置いた。12月中旬、巣箱を据える土台にセメントを張って、その上にブロックを置いたものを3カ所作った。ブロックとブロックの隙間を8mmに定めて固定した。8mmという隙間はニホンミツバチの通行可、スズメバチの通行不可という寸法である。セメントを張ってブロックで基礎を定める仕方は祝原さん得意の工法である。
 2月28日、村瀬先生を講師に招いて「ニホンミツバチの飼養とクリの栽培」をテーマに屋外現場での講義を聞いた。
 3月4日、敷地の南に3つ据えた巣箱の一つを正門近くの大工小屋の裏に移した。村瀬先生にいただいた蜜ろうを巣箱に塗り付けた。 3月9日、村瀬先生の新たな工夫として、当初はなかった巣門の先に8mmの網目の木製かごを付け足した。巣門とはミツバチたちが巣箱に出入りする玄関である。巣門のそばでスズメバチに待ち伏せされるとミツバチはたまらない。そこで、狭い巣門を囲い込むような8mmの網目の大き目のかごを取り付けてやると、スズメバチは攻撃しにくくなる。ミツバチが狭い巣門ではなく広目のかごのどからでも出入りする、スズメバチにミツバチがどこから出入りするか見当がつかないようにしてしまおうという工夫である。というわけで、スズメバチ防御の網と木製枠の取り付けの仮の作業をした。これで出来上がりだが、文字通りの仮の設置で7月に本格設置する。次は分蜂の時期に蜂を捕獲する仕方である。全くの受け売りだが、分蜂とは群れが2つに分かれることをいう。春になって新しい女王蜂が生まれると、母親の女王蜂が働き蜂を連れて巣を飛び出して新たな場所に巣を作る。その時が捕獲のチャンスである。キンリョウヘンという蘭を巣箱の前に置いて分蜂するミツバチを誘引するのである。この蘭の花の香りが、新たな巣を求めるミツバチを誘い寄せる役割をするといわれている。難しい点は、自然の状態ではキンリョウヘンの開花時期が5月、ミツバチの分蜂時期が3月と時期がずれているという違いである。村瀬先生はキンリョウヘンの開花時期の調整がお得意なのである。長年の農業高校勤務で積まれた研究の成果である。
 3月23日、村瀬先生自ら開花したキンリョウヘン3鉢を生活体験学校へ持ってきていただいた。恐縮の極みである。一般に分蜂は3月20日ごろと言われている。新たな巣箱を探して蜂が飛んではくるが、いわば偵察にきたという感じで巣箱に入るという気配ではない。4月に入っても様子は変わらない。村瀬先生に何度か電話で様子を報告した。
 4月13日、村瀬先生の指示で最初のキンリョウヘン3鉢を別の新しい3鉢に取り換えた。
 4月16日の午後、新しいキンリョウヘンのネットに数十匹の蜂が群れていた。キンリョウヘンにはネットがかぶせてある。キンリョウヘンの花が受粉してしまうと香りが出なくなるので、受粉しないようにという工夫である。はたせるかな、翌17日、巣箱にミツバチが入った。17日の模様を村瀬先生に電話すると、「おめでとう!!」と大変喜んでいただいた。
 その後、4月いっぱいは偵察に来る蜂を見かけたが、結局巣箱に入ったのは最初の一つに終わった。敷地内に設置した巣箱は、合計5つだが、そのうち4つが空室である。
 5月4日にスズメバチ防御の網と木製枠の取り付けを試みたが、村瀬先生に報告したら、「まだ、時期が早い。7月に入ってから。」といわれたので、すぐに取り外した。5月からはスズメバチの捕獲が課題で、巣箱の近くにハチ取り器(黒色)を吊るした。空の巣箱近くにもハチ取り器を吊るした。誘引液に誘われて入ると出られない作りになっていて、中でおぼれて死ぬという装置である。
 5月12日、スズメバチの女王バチが2〜3匹かかっていた。22日、ハチ取り器が満杯になっているので取り外して写真を撮った。スズメバチ11匹、蛾12匹が入っていた。再び元に戻して吊るしておいたら、翌日、大きなスズメバチが2匹かかっていた。これまでで、かなりの数のスズメバチを捕獲した。
 6月7日、商品名「スズメバチの巣撃滅ベイト」(黄色)を吊るした。これは、黒色のハチ取り器と違って、ハチが薬品を足につけて巣に戻って薬効によってスズメバチを死なせるというもので、どれくらい効果があったか、なかったかを確かめることはできない。
 6月17日、3段重ねの巣箱に空の巣箱2段を付け足して5段重ねにした。なぜ2段付け足ししなければいけないかは、私にはよく分かっていないのだが、素人考えでは上の箱から蜜をためてくれば蜂の活動空間が次第に狭くなるから空の箱を足してやることが必要になるのではないかと思う。空箱を足している間、3段重ねを抱えていた河中さんが、「重い! 早くして!」と言ったぐらいだから蜜の量も少なくはないと思った。
 7月に入るとスズメバチの活動開始時期だそうで、スズメバチ防御の網と木製枠を取り付けた。この網の目も8mmのものを通販で買って張り付けた。網の目をくぐるミツバチの所作が愛らしく、見ていて飽きがこない。度々観察しているうちに、もっと網の目をピンと張ってやれば出入りしやすいのではないかと思い始めた。
 7月23日祝原さんと網を張り直した。元に戻して取り付けてやると蜂は一層激しく働くようになった。
 7月25日、村瀬先生に巣箱の検分にきてもらった。その場で、8月8日(土) 10:00〜10:45の45分間で巣箱を開封し、一段目の蜜を採取することに決めた。対象者を生活体験学校職員とする。
 8月9日(日)10:30〜11:30 蜂蜜絞り体験。参加対象者を生活塾の参加児童13名と決めた。初めての試みであることから、8日の活動は安全配慮のため大人のみとした。蜂蜜採取の過程で児童が蜂に刺される危険を回避するため、巣箱を開くのを1日目に、蜂蜜絞りを2日目にと分けた。ここまでの計画は順調だったのだが、8月に入ってすぐに地元庄内小学校教職員にコロナ感染者が出たという報せが入った。あいにく、8月9日の生活塾の参加児童の半数が庄内小学校児童である。庄内小学校は即臨時休校、万事休すである。8月9日の生活塾は中止せざるを得なかった。それでも、職員による採蜜作業は実行することにした。8日は雨の天気予報が出たので9日11:00に延期した。 初めての採蜜作業に職員もワクワク、ドキドキである。10名余りの大人が見守るなか、村瀬先生の指導で採蜜が始まった。ハチは黒色に向かってくる、白色には向かってこないという村瀬先生の説明に黒いズボン着用の大人が後列に下がった。初めは、ビス止めした天井板のビス2本を抜いて、軽く板をたたく。音に反応してミツバチが少しづつ下に向かう、次第に巣門近くのハチが増えてきた。2分くらい続いたろうか、5段重ねの一段目に村瀬先生がパン切り包丁を入れて一段目を切り取った。切り取った一段目の上部は天井板で止めてあって中身は見えないが、二段目の蜜の詰まり具合は見える。目につくのは蜂が自分の体から作りだした「ろう」を材料に作り出す六角形の部屋に詰まった蜜である。後の話では、二段目の蜜の詰まり具合は相当なものだったらしい。切り取った一段目は、そのまま生活文化交流センターに運んで絞る。
 子ども用の給水器に少しばかり手を入れて、蓋の部分に「こし布」を被せわたした。改良した給水器に蜜の詰まった箱をかざして蜜を抜き取る。箱には木で作った桟が十文字にわたしてあるので、その桟を止めたビスをインパクトドライバーで抜く。枠に沿ってパン切り包丁をいれると蜜の塊がどっと抜け落ちた。村瀬先生はゴム手袋で蜂蜜を絞り始める。生活体験学校の職員も手をアルコール消毒して、村瀬先生をまねて素手で蜜を絞り始めた。蜜の詰まった巣を手づかみで絞るなどという体験は生活体験学校ならではの体験である。
 翌日、職員の矢野さんが糖度計を持ってきて測ってくれたところ、78度の糖度だった。梅雨明け早々の時期の糖度としては、まあまあのレベルだとか。来年は巣箱を3つ4つと増やして、ぜひとも多くの子どもに体験させてやりたいと思った。絞る前に全量を秤にかけて測っておけばよかったと思ったが後の祭りだった。「使いみちは」と、取材の新聞記者さんに問われたが、料理作りは生活体験学校の専門領域である。ありとあらゆる献立にハチミツをぶち込んで作りますと答えた。(もっとも、早くコロナ感染が収まってくれたらの話だが)ひょっとすると、ニホンミツバチの蜂蜜採取は生活体験学校の新たなメインプログラムになるのではないかと思った。今回の続編にご期待いただきたい。 
  (令和2年8月10日)