校長日記36

サツマイモを植える
 生活体験学校の野菜作り、それも幼児対象の作物のうちではサツマイモが主要作物である。幼児にとっては、芋ほりが定番の体験活動である。イモ掘り以外の活動はあまり行われない。私は幼児だから「できない」という活動はないと思っている。幼児でも、「できる」ように段取りさえしてやれば大人と変わらぬ活動はできる。しかし、その段取りには時間と人手が要るから、園の活動として行う場合には省略することが多い。どんな活動でも前準備と後片付けが大変だが、大変な作業だからこそ大切なのである。イモ苗植えの場合は、耕して石灰を入れてマルチを張る。植える間隔ぴったりの穴あけが済んで初めて「苗を植える」段取りができたことになる。他の野菜の場合は石灰と一緒に元肥を入れる。サツマイモの場合は他の野菜と同じように元肥を入れると、ツルと葉ばかりが繁って、イモは小さいものばかりという情けない結果を見ることになる。生活体験学校の場合、通常は園児一人に2株を掘らせている。去年などはイモの成育が良かったので2株掘って一人では持ち切れない量のイモを掘った園児もいた。保育園(所)、幼稚園の秋の体験活動といえばイモ掘りである。だから、イモ苗植えは大事な作業である。園によっては、イモを掘るだけでなく苗を植えさせたいという園もある。現在は、苗植えは生活体験学校の職員でやっている。園が苗を植えたい日に合わせて苗を準備してくれる店がなくなったのである。さりとて、園がお店の準備してくれる苗の入荷日に合わせて、急遽園児を連れて生活体験学校に来れるかというと園の都合があってそうもいかない。苗はよくもって3日ぐらいが限度である。苗の勢いがあるうちに園児がやってくることができればいいのだが、それは中々難しい。おまけに、園児が畑に植えたつもりの苗は、よく見れば土にねじ込んだ状態になっていて活着するかどうか怪しいものが少なくない。園児が帰った後、植え替えなければならない苗が少なくないから二度手間になる。それやこれやで、苗植えは生活体験学校の職員でやっている。
 秋に、園児が芋ほりにやってくる場面を想像しながら必要量のイモ苗を植えなければならない。去年は回数多くイモ苗買いに走ったが、総本数は約1,000本だった。今年初の苗植えは去年とは違っていた。職員の矢野隆司さんが自宅でサツマイモを作っているという。毎年、鹿児島までサツマイモ苗を買いに行っている。ついでだから買ってきましょうかという申し出があって、それに乗った。5月16日に300本の苗を植えた。鹿児島産の苗を植えた畝に立てた札には、丸に十の字の薩摩印を付けておいた。しっかりした丈夫な苗だった。値段が安かったのにも驚いた。単価は17円だった。福岡のこちらで売っている値段の約半分だった。領収書にあった住所は、〒891-0603 鹿児島県指宿市開聞十町5070-4 まつざわ農園とあった。地名は、「かいもんじゅっちょう」と呼ぶ。令和2年度 サツマイモの苗購入経過は以下の通りだった。
5.16 紅はるか 300本 (鹿児島県指宿市開聞十町産)
6.16 紅はるか 250本  (嘉麻市・馬古屏購入)
6.24 紅はるか180本、なると金時200本(馬古屏購入)
6.27 紅はるか 250本  (嘉麻市・馬古屏購入)
 鹿児島県産紅はるかのツルが伸び始めてツル返しをしなければならない状態になってきた。
 7月10日、職員の河中利通さんが伸びだしたツルを130本(2畝分)摘み取って苗として植えた。いったん植えた苗のツルを切り取って100本以上も植えたのは初めてのことである。この分も入れて今年植えたサツマイモ苗は1,600本になった。ツル返しといえば、去年のツル返しは大変な作業だった。ツルが伸び過ぎてイモ畑の全面を覆うばかりになった。意を決してイモ畑全面を丸坊主にした。それでも、しばらくするとイモ畑は再びツルに覆われた。放置すれば、畑はツルと葉ばかりになってしまう。ツルの勢いはすごいものだった。今年の7月4日と5日、弟の高志と津山さんが二人がかりでツル返しと草取りをしてくれた。おかげで鹿児島県産紅はるかの畝は、畝と畝の間の風通しが良くなった。  
 7月8日、南の菜園の里芋3株をイノシシに掘り返されているのを発見した。これまで生活体験学校の畑をイノシシに荒らされたことはなかったので職員に衝撃が走った。南の菜園のフエンスは経年劣化が激しくて、どこからでも侵入できるような金網だから無防備に近い。ワイヤーメッシュ(イノシシ侵入防止用金網)10枚を買ってきて、侵入経路らしき箇所(フェンスの破れ)に取り付けた。 掘り返された里芋は葉ばかりが大きくて根はほとんど生育していない状態で、イノシシも餌にならぬと諦めたのか被害は少範囲にとどまった。それでも、これからサツマイモの収穫までは万全を期して守り抜かねばならない。9月までには本格的な侵入防止柵を作りあげたい。
  (令和2年7月14日)