校長日記31
エッセイの残り火
 前回の校長日記執筆から6か月の空白である。前回で30回という区切りを迎えた「校長日記」であるが、ホームページ掲載そのままを紙データで残しておこうと思い立った。編集を黒葛原さんに頼んで冊子の体裁に整えてもらった。原君に労を煩わして博多駅のコピーサービスのキンコ−ズで印刷してもらった。13冊作った。3冊は飯塚市立図書館に寄贈した。横山正幸先生、あいり出版の石黒憲一社長、黒葛原志保子さんに各一冊を贈呈した。残りを生活体験学校に置いて職員の皆さんに読んでもらっている。読みたいという方がおられればお貸しする。飯塚市立図書館でも閲覧できる。ホームページで見たいという方もあれば、紙で読みたい方もおられるだろう。
 実は二度目の指定管理者申請に際して思案していたことの一つが申請書をどこで印刷するかということだった。五年前に仕上げた申請書は、100頁を超える大部のものだった。同じものを確か15部は作ったように記憶している。中身を書き上げる作業もさることながら印刷作業だけでも簡単ではない。私自身はキンコ−ズなどの会社を利用した経験はなかったので有難い会社があるものだと感心した。それならばと思い立って校長日記30回分の冊子作りを思い立った。30回目のエッセイのタイトルは、「大工小屋を拡張する」だった。3月中旬に書いた。それから6か月何をしていたかというと全ての時間は次期5年間の指定管理者に選定してもらうための申請書作成に当てていた。最も優先すべき仕事、それは次期5年間の指定管理者に選んでもらうこと、これこそ急がねばならない仕事であった。これは稿を新たに起こして書かねばならない。そこで上述したように校長日記30回分を「くるみ製本」してまとめる作業にかかった。でき上ってみると、やはり紙に印刷したものの方が読みやすい。挿入した写真も鮮明に印刷されており大いに満足した。この上首尾に味をしめて、地域誌月刊嘉麻の里に連載したエッセイのうち著書に引用転載した分を除いた残余のエッセイを製本したい欲求が沸いてきた。
 自宅のパソコンからDVDに保存したデータを探す作業から始めた。手元にある数十枚のDVDを片端から開いてデータを探した。やっとのことにデータを見つけ出して黒葛原さんに送った。執筆順にデータを並べ変えてもらって仮に印刷してみたところ、題材ごとにまとめた方が見やすいことが分かった。数が多いのは生活体験学校の子どもの様子であるが、次いで多いのが他県・他市町村の通学合宿の事例であった。こうして整理し終わると、これまで書いたエッセイのほとんどが数冊の著書のどこかに転載されていることになる。副題を「エッセイの残り火」とした。ここまでくると改めて地域誌月刊嘉麻の里の存在があったればこその思いを深くする。幸運なこと、それは編集長大庭星樹氏との出会いでもあった。以下は、地域誌月刊嘉麻の里連載「生活体験学校の日々」〜エッセイの残り火の序文である。完成刊行が待たれる。 
  はじめに 
 地域誌「月刊嘉麻の里」(編集長大庭星樹氏)に連載したエッセイ「生活体験学校の日々」は、1991(平成3)年12月号から同誌休刊に至る2012(平成24)年3月まで21年間244回に及んだ。大庭編集長の勧めで筆を起こしたのだが、書き始めてみると生活体験学校には題材が日々発生して筆が滞ることはなかった。子ども達の通学合宿の感想文だけでも読者に紹介したい事柄はたくさんあった。のみならず、通学合宿という宿泊体験事業の全国的な広がりによって、求めに応じて書いた論稿も少なからずあった。1995(平成7)年3月、横山正幸先生(福岡教育大学教授)、猪山勝利先生(長崎大学教授)と私の3人の共著のかたちで「生活体験学習入門」(北大路書房)を出版した。私にとっては初めての出版であった。  当時、私は福岡県教育筑豊教育事務所社会教育課長の職にあった。この本の中で1989(平成元)年4月に動き始めた生活体験学校の姿を中心に論が展開された。具体的な姿の多くはエッセイ「生活体験学校の日々」を引用する形で紹介された。出版は都合4回に及んだ。2回目の「生活体験学校の日々」はエッセイそのものをまとめた体裁にした。3回目の「通学合宿・生活体験の勧め」でもエッセイそのものを転載する形で紹介した。他の2冊は本の構成の必要に応じて内容を引用した。4回の出版は次の通りであった。
  1995(平成7)年3月 生活体験学習入門 北大路書房 
  1998(平成10)年4月 生活体験学校の日々 プランニングエン bPから72まで
  2005(平成17)年11月 通学合宿・生活体験の勧め あいり出版 75から159まで
  2010(平成22)年7月 子どもの育ちと生活体験の輝き あいり出版
 この間、私は2000(平成12)年3月に定年退職し、2003(平成15)年4月には東和大学工学部特任教授に、2008(平成20)年4月には純真短期大学食物栄養学科特任教授を拝命した。2017(平成29)年3月に純真短期大学を退職した。同年4月から飯塚市庄内生活体験学校館長としてほぼ毎日同校に詰めている。NPO体験教育研究会ドングリは2015(平成27)年4月から向こう5年間飯塚市から指定管理者として生活体験学校の管理運営を委ねられている。私はNPOドングリの理事長として生活体験学校の責任者になったという次第である。エッセイ「生活体験学校の日々」は、途中で「生活体験の勧め」と改題したが、立ち位置としては「生活体験学校の日々」と変わるところはなかった。「月刊嘉麻の里」が休刊し、私は純真短期大学を退職してみると、嘉麻の里に連載した244回のうち著書に引用することがなかった総計79編ばかりのエッセイのことが気になり始めた。嘉麻の里に掲載しただけに終わったものでは、宇部市や静岡県での講演録のように性質上他の著書に転載しなかったものがある。また、2010(平成22)年の「子どもの育ちと生活体験の輝き」の出版後に書いた16編ほどのエッセイもある。これらのデータを探し集めて紙原稿にしたのが本書である。本書の完成に至る間には黒葛原志保子さんの手を煩わした。黒葛原さんの助力がなければ本書は完成しなかった。記して感謝申し上げる。 (2019(令和元)年9月22日)
(飯塚市庄内生活体験学校々長、2019(令和元)年10月1日)