校長日記30
大工小屋を拡張する
 平成31年の3月の中頃である。近頃やたらと「平成最後の・・」という冠を付けた表現が多い。5月になれば新たな元号に変わるから当たり前のことではあるが、中には「それがどうかしたの?」と言いたくなるような事もないではない。生活体験学校事務室の北東の方角、と言ってもすぐ目の前の場所だが、旧厩舎つまり以前馬小屋として使っていた部屋に大工道具を集め揃えた大工小屋と呼んでいる場所がある。今、この小屋で盛んに進めている作業はソーメン流し板2セットの製作である。去年、ヒノキ板でソーメン流し板2セットを作った。板の部分は見た目には簡単に作れそうに見えたのだが、とりかかってみると水があふれ出したり、ソーメンの流れが悪かったりと結構な手数を要した。板を支える脚の部分も、ふらつかないように、それでいて太くて重いという風にならないように何度も手を加えた。主に祝原政弘さんが製作した。口出し手出しは全職員がした。使う度に水が漏るの、麺の流れが悪いのと言う声に押されて何度となく手をいれた。終わってみれば、貸し出し回数16回という上々の結果だった。その前の年、石焼きイモの釜を作った。釜を生活体験学校で使ったり、求めに応じて貸し出したりと結構好評を得たのだが、ソーメン流し板の方はそれに勝るとも劣らぬ結果だった。1年間使ってみた成果と反省を元に、新たに2セットをほぼ完成させつつある。大きな違いは、流し板の幅を1センチ狭くしたことである。去年の板は幅が広くて流れが悪かったというのである。果たして2作目が多くの期待に沿えるかどうか、使ってみないことには分からない。去年作った2セットは、利用率が一番高かった筑穂交流センターに一年間お貸しすることにしている。こんな作業を見ながら、改めて大工小屋の大切さに気付いた。この大工小屋があればこそ、さまざまに工作ができるのであって、今後の生活体験学校の重要な機能を担う部署であると言って良いだろう。そう思って今ある機具の移設の時期を記しておこうとしたが、日誌のそこここを広げて見ても、記録が出てこない。ほんの数年の間のことを正確に書き留めてないということは、記録する力の不足としか言い様がない。記憶をたぐるように話し合ううちに、もともと生活文化交流センターの2階に機具の全ては置いてあった。このことは誰もが知っている間違いない事実である。原君の発言から、「相当の重量がある機具の全てを下ろすことができるのは、毎年7月下旬に来てもらっている九州大学社会教育主事講習の受講生以外にはない」ということになった。それも平成28年7月29日(土)のことであろうということになった。この年は原君自身が受講生として社会教育主事の資格取得にいった年でもあったので、いわば同窓生の何人かに問い合わせた結果、確かに重たい機器を下ろす作業をしたということが確認できた。平成28年7月29日こそが今の大工小屋ができる出発点であった。多種の機具があっても2階まで上がって使うというのは大変だった。材料を担ぎ上げて、終わったら作品を担いで下ろさなければならないわけで、結局利用度合いは極めて低かった。全部の機具に、「平成10年度宝くじ助成備品」という銀のラベルが張りつけてある。大きくて重量のある器具は、丸のこ盤、自動カンナ(312ミリ、集塵機付き)、小型バンドソーの3つである。ロープで確保しながら気合を合わせ、大人が総がかりになって慎重に下ろした。この3つほどの重さはないが、それでも結構重かった機具類があった。ベルトサンダー、卓上ボール盤、糸のこ盤、電動グラインダー、金工用グラインダー、角のみ盤である。毎年来てもらう九州大学社会教育主事講習の受講生、10人ほどの大人の働きを当てにした重労働だった。平成28年7月29日が出発点だったのだが、これだけの機具を元の馬小屋に詰め込んだのだから、窮屈なことこのうえない。祝原さんが丸のこ盤、自動カンナには動かし易いようにキャスターを取付たが、場所の狭さを解消できたわけではない。そのまま1年近くこの狭さを辛抱したのだが、ついに平成29年6月21日、東側の壁を切り開いて160cm×270cmほど拡張した。これで随分広くはなった。広くはなったのだが、縦横に作業を進めるというには窮屈さが残った。
 いっぽうで、かねてから車庫のトタン屋根が下がってきたのを、下から少し突き上げて支持しなければと話し合っていたことを実行することにした。下がり気味のトタン屋根を支持するため新たに下から角材をあてがって固定した。これで当分は大丈夫だろうと話し合っているうちに、車庫を二分して半分を大工小屋にしようではないかという提案が浮上した。車庫には公用車の軽トラック1台しか置かないので、残り半分を大工小屋にしようというのである。車庫の半分くらいの位置に観音開きの戸の枠を作って、透明トタンを打ち付けた。広げた面積は560cm×390cmだった。平成29年6月の拡張とは比べものにならない広さである。平成30年12月のことであった。生活文化交流センターの2階から機具の全てを下ろしてから2年5か月が経っていた。機器の配置も大きく変えた。コースレッドビスも棚を作って、90mmから25mmまで12箱を長さの順番にきれいに並べた。機器の大半が、「平成10年度宝くじ助成備品」だから正味20年前の古道具なのだが、生活文化交流センターの2階においてあったがゆえに利用度が少なく、使って摩耗したというわけではないから使用に耐えているということだろう。ただ、部品が壊れたり部品を失ったりすると急には補充できないという特殊な事情は発生する。ともあれ、これからの生活体験学校の重要な機能の一つが大工小屋で作られる物であることは間違いない。その一例がそうめん流し板である。今の生活体験学校には大工小屋の機具を使いこなせる祝原さんや河中さんという人材がいるということも重要なことである。今回は大工小屋拡張の経過を振り返ってみたのだが、初めから今の姿を構想したのではなく、一つ試みては一つ失敗して、また一つ工夫してという積み重ねの結果が今の大工小屋の姿である。今後、生活体験学校が大工小屋から何を生み出していくのか、楽しみである。
(飯塚市庄内生活体験学校々長、平成31年3月15日)