校長日記26
第20回研究大会開く、学会設立から20年
 生活体験学校は、旧庄内町立生活体験学校として1988(昭和63)年1月に同校管理棟での通学合宿を始めた。翌年1989(平成元)年4月には新たに完成した生活棟での通学合宿を始めた。それから時移り人変わって、生活体験学校固有のプログラム「通学合宿」開始から丸30年が経過した。
 
いっぽう、日本生活体験学習学会は1998(平成10)年12月、設立準備会を開いて、翌年9月には生活体験学校を会場に第1回日本生活体験学習学会実践交流会を開催した。こちらも学会設立から20年を経過したことになる。日本生活体験学習学会は、生活体験学校の存在と通学合宿の取り組みに、いわば触発されて設立されたのである。2018(平成30)年9月8日(土)、9日(日)の2日間にわたって、30年と20年という節目の年に揺籃の地である生活体験学校で研究大会と生活体験発表会が開催された。前者は日本生活体験学習学会第20回研究大会と呼び、後者は第2回生活体験発表会と呼んだ。学会発足直後の1999(平成11)年9月から2004(平成16)年10月までの6年間にわたって実践交流会が生活体験学校で実施され、九州各県を中心に合計68の事例が発表され交流を深めた。しかし、2004(平成15)年を最後にその後14年間、実践交流会が開かれることはなかった。学会設立の準備から発足にいたる間、私自身も発起人の一人に名を連ねたのだが、自身の気持ちとしては学会設立の必要を感じてはいなかった。当時の私は、福岡県教育庁社会教育課の指導班に籍を置いていて業務は多忙の極にあった。研究などとはほど遠い実践推進の先端にあって、思うにまかせぬ社会教育の現状に日夜頭を痛めていた時期であった。翌1999(平成11)年4月には定年まで残り一年となり、福岡県立社会教育総合センターの副所長を命ぜられ、ようやく本庁社会教育課指導班の激務から解放され、定年退職を静かに待つ身となった。定年前の一年はたちまちに過ぎ、定年の後三年を経て自分自身が大学教員の末席をけがすことになろうとは夢にも思わず過ごした一年だった。
 実践者と研究者とは、生活体験というキーワードを挟んで手を結んでいることは確かなことである。しかし、学会を設立して共に行動できるかというとそう簡単ではない。第一、生活体験というキーワードに立って実践者という場合、それは一体誰のことを指すのか議論されたこともないし、曖昧で定かではない。実践者からすると研究者は研究をする人で実践をする人ではない。ここだけは、はっきりしている。学会の議論では「実践者と研究者と一体になって」などと言われることは珍しくないが、一体になるなどあり得ないことだと私は思っている。実践者は研究者のするような事に近づき過ぎないように気をつけながら、自分の実践の後付けを丁寧にしておくべきである。あまり近づき過ぎると自分の実践の妨げになることすらある。実践者と研究者は、生活体験という川の流れを挟んで両岸から手をつないで流れに沿って歩いているような関係にある。どちらか一方が手を強く引き過ぎると、どちらかがドボンと川に落ちてしまう。どちらも川に落ちないようにゆるく手を取りあって、たまに細い橋でもあればお互いに橋を渡り合って各々の蓄積を交換する程度がよろしいと考えている。私などは通学合宿というプログラムを創案し実践してきた実践者であると自認している。私も学会誌に論文らしきものを書いたし著書もあるが、それは自分の実践をまとめ、整理するために書いたもので研究者のそれとは趣を異にする。実践者も自分の実践を広く分かってもらいたいという欲求は持っているし、そもそも自分の実践であってみても書いてみて初めて分かる実践の骨組み、問題点は山ほどあるから次なる実践のために書くのである。研究者の書くものとは別の次元のものである。
 こうした意味合いにおいて、学会の実践交流会が6年をもって終息したのは結構なことであって、むしろ遅過ぎたくらいである。研究大会を実践交流会と別建てで毎年開くなどは実践者に切実な要求がある場合に限るべきであるし、強いて開くとしたら3年か4年に一回の間をおいて計画を立てて開催すべきであろう。学会の実践交流会で発表された事例は、第1回が16事例、第2回が15事例の多数にのぼっているが、これだけ多くの事例を一つの会で発表してもらうための準備は当時の庄内町の規模の自治体には荷が勝ち過ぎていた。それは県教育委員会規模の行政で担うような規模や内容だったのである。いや、県教育委員会ですら二の足を踏んだかもしれない。それを開催間隔も終了期限も定めずに続けようとしたのは分を超えた試みだった。第3回の発表事例はわずかに5事例にとどまった。実践交流会運営事務局の限られた担い手の限界を露呈した頓挫であり、その背景には生活体験というキーワードで発表するほどの実践自体が進んでいなかったという実践の低迷もあったのではないかと思っている。
 
 
 第2回生活体験発表会

 性懲りもなくというか、惰性に流れてというか、第1回生活体験実践交流会では他の施設や市教育委員会にお願いして優れた事例を発表してもらった。特定非営利活動法人体験教育研究会ドングリ(略称NPOドングリ)が生活体験学校の指定管理者になって初めて企画した実践交流会であった。平成28年5月に実施したのだが、参加者には共感が今一つという印象が残ったし、上述の6年間の学会実践交流会の轍を踏んだかという、いささかの悔いも残った。そこで発想を変えて、第1回生活体験発表会は先進事例を一切お招きしないで、飯塚市内の登壇者のみで構成する会に編成した。体験発表二つ、すなわち生活体験学校で活動するボランティアと通学合宿・生活体験合宿に参加した親子の体験発表である。親子の体験発表には多くの拍手をいただいた。他の一つの柱は、職員による実践報告である。それも全職員にそれぞれの実践を報告してもらった。こんな企画は初めてのことだった。全職員による実践報告などという企画は相当嫌がられるかと心配したが、訥々と日々の仕事内容を発表してもらって好評を得た。第1回の発表会を終えた後は、来年もこれでいこうと腹は決まった。第2回生活体験発表会は、市民という内輪に向けたプログラムで埋め尽くした。新しくしたのは、職員の実践発表の前に、「幼児の野外活動支援」について原君に報告してもらったことである。これは昨年から新たに始めた生活体験学校の平日昼間の利用促進の目玉事業ともいうべき活動の報告であった。
(飯塚市庄内生活体験学校々長、平成30年 9月11日)