校長日記22
ヒットした石焼きイモ釜!その2
 石焼きイモ釜は火加減が難しいが、それだけではない、他にいくつもの工夫がなければ、美味しい石焼きイモはできない。愛宕幼稚園に出かけるのが11月21日だったから、それまでに何度か試しにイモを焼いてみた。その時、原君の発案で実行しているのが「落しふた(蓋)」である。初めに聞いた時には、「何だ、それは?」と思ったが、やってみると中々具合がよろしい。イモを並べている釜の壁の高さは約15cmである。ドラム缶の直径は57cmある。この空間の温度が上がって一個のイモの全体が、むらなく焼けるというには空間が広過ぎる。そこで大鍋のフタをもってきてイモの上からかぶせる。ドラム缶の底の鉄板が焼け、その上に敷いてある丸い小石が焼ける。小石の熱が逃げずにイモに伝わるように鍋ふたが押さえているというわけである。さらに、もう一工夫ある。給食用の小食器に水を張って釜の中に据える。温度が上がるにつれて、食器の水が沸騰して釜の中に適度の水蒸気が漂う。その水蒸気のおかげで、イモの表皮が焦げるのを和らげてくれるのである。この落しふたと水蒸気発生に行きつくまで何回試し焼きをしただろうか?
 12月5日、庄内子ども園に石焼きイモの出前講座にでかけた。この日はあいにく霙(みぞれ)が降った。出かけた河中さん、津山さん、弟の高志は苦労したが、どこに出かけても、毎回幼児の笑顔に癒されて帰ってくる。
 
12月の石焼きイモは更に続いた。12月15日、筑穂保育所に出かけた。出かけた職員は、河中さん、祝原さん、原君の3人である。焼いたイモの数は95個で、庄内子ども園の場合とほぼ同じであった。祝原さんによれば、この日の焼き具合はこれまでで一番の出来だったと満足げであった。筑穂保育所の石焼きイモには余談がついてきた。事前のアナウンスには石焼きイモとヤギが一緒に来るとあったらしい。子どもたちからヤギがいないとクレームがきた。生活体験学校の唯一の公用車である軽トラックに釜とヤギの二つを同時には積めない。石焼きイモ釜2基と燃料である薪と木灰をいれる消壺、掃除道具に薪割、一通りの大道具小道具を積めば軽トラックは満杯である。さりとて一度子どもにアナウンスした以上は実行しなければならない。12月22日、再びヤギを積んで筑穂保育所を訪れることになった。この日は、河中さんと私の二人で出かけた。ヤギは木の葉が好物である。生活体験学校の敷地内にはドングリがたくさん植えてある。ヤギに与えるにちょうどいい大きさに切った小枝を積んでいって保育所の先生に渡した。帰りに見てみたら全部なくなっていた。ヤギが喜んで食べたことがすぐに分かった。3回に及ぶ石焼きイモの出前講座とその合間に試し焼きを重ねて、釜の中の小石はサツマイモから出る蜜で二つも三つも連なっているものもある。ドラム缶の底にも蜜がこぼれて汚れてしまった。祝原さんが石を洗ってくれたのだが容易には落ちない。そこで釜に石だけをいれて煮たら、真っ黒になったお湯で石が見えなくなった。道具を使って石をかきまぜ、水を替えて火を焚いて熱を加える。釜を焚いて石を煮て洗うという滅多に見られない光景が出現して、釜も石もきれいになった。年の瀬も迫ったころ、耐火セメントを使って作った焼却炉をもらってきた。煙突立ての部位までいれると4段重ねのしっかりした作りである。しかし、以前はともかく今は焼却炉でゴミを焼くことは禁止されている。余計なもらい物をしたかと危惧する意見もあったが、私は何かに役立てることは可能だと思っていた。果せるかな、年が明けた1月6日、祝原さんと河中さんの二人が最上部を除いて3段目までを改造した。改造のポイントは最上部の鉄扉を外して2段、3段目に新たな焚口を切り開いて、開口部に外した鉄扉を取り付けたのである。祝原さんがセメントをサンダーで切り裂く。サンダーで切り裂くセメントの色は耐火セメント特有の色が見える。河中さんが送風機でセメントの粉を吹き飛ばす。しばらく奮闘が続いた後には、50cm真四角の3段重ね、高さが75cmという炉ができた。その上にドラム缶の釜を乗せてみた。新たに煙突を取り付けるまでもなく2段目に空けてあった2つの穴、それも左右に合計4つの穴があって煙突の役割を果たしているではないか!焼却炉変じて石焼きイモ窯となる、早速の試し焼きに及んだ。なんと、一時間と少しの所要時間で見事石焼きイモができあがった。続けて何度か試し焼きをしたが、ドラム缶製の石焼きイモよりもはるかに使いやすいし早く焼ける。焼き具合もなかなかよろしい。鋳物の簡易カマドからドラム缶製のカマド、そして耐火セメント製のカマドまで、合計5つの石焼きイモ釜・窯が完成した。ドラム缶製の釜を洗ってサビが来ないように食用油を塗ってみた。黒光りする釜の側壁を眺めながら、なぜか幸せな気分に浸る自分を発見した。
(飯塚市庄内生活体験学校々長、平成30年 1月16日)