校長日記18 | |||||
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6月の日記を書いてから随分間が空いてしまった。7月、8月、9月といろんな事があったので書くことは山ほどあったのだが、職員の皆さんが作業に汗を流しておられると、腕力も無いのにじっとしておれずに手を出してしまう。役に立てば良いのだが、かえって邪魔をしているような始末に終わることが多い。それでも作業に加わってしまう。独り相撲のようなものだが、それでも疲れだけは残って日記を書くのが後回しになってしまう。まことに申し訳ない次第である。 7月の初めには生活文化交流センターのシャッターの修理が完了した。飯塚市教育委員会生涯学習課のお骨折りで予算がついて、上げ下ろしに苦労していたシャッターが軽々と動かせるようになった。長いこと不自由していたので本当にありがたかった。7月21日には駐車場にあったバスッケットゴール3本を解体撤去してもらった。3本のうちの2本は子どもがボールを投げることはあったが、残る1本は忘れられているというか、ただ立っているだけだった。このゴールに子どもが昇ったりするのを度々見かけて危ないなあと思っていた。いつかゴールがひっくり返って子どもが怪我をするのではないかと心配していた。これまで何度か修理したりしたこともあったようだが、修理の必要もなくなった。 7月の力仕事は、5月下旬に2回にわたって枝降ろしをしてもらったクスノキの巨根を掘り出したことだった。5月の枝降ろしは、(有)本松通信工業に重機を駆使してやってもらった。
月末には床張り倉庫の北側に薪小屋を作った。古材を寄せて、壁と屋根は堆肥小屋の屋根を新しくしたときの廃材トタンを張りつけた。
8月2日、職員に頼んで風呂を沸かす釜の薪置き場を作ってもらった。以前から気になっていたのが、風呂を沸かすための薪を一輪車に積んだまま風呂釜の前に据えてある状態である。薪を一輪車に積むのは運搬のためであって、運搬が終われば一輪車は元の場所に戻さなければいけない。ところが、それが常態化して薪を積んだ一輪車が風呂釜の前に置いたままである。一輪車の数が多いこともあって、こんなことが続いたのだが、子どもに示す場面のお手本とは言い難い。以前から薪の置き場らしきものがあるにはあったのだが、雑然とした場所で一見して薪置き場とは分からないという代物である。そこで雨風を避けるための壁を新しくして棚を2段こしらえた。子どもに活動らしき動きを期待するなら、それなりの場面が必要である。運搬用の一輪車に薪を年中置きっぱなしにしておいて風呂沸かしもないだろうというのが私の思いであった。 8月18日にいたって農具倉庫とピザ窯の新建屋を結ぶ直線20mに塩化ビニール管を埋設した。同時に、農具倉庫の前の蛇口を4個に増やした。
8月30日、ピザ窯建屋に面積の3分の2ほどの板張りが完成した。板張りの広さは725cm×372cmである。ピザ窯の建屋自体は福岡県地域福祉振興財団の助成を受けて平成20年度末に完成したものであるが、今現在、同財団は福岡県社会福祉協議会に吸収され解散して存在しない。ピザ窯の建屋に連結して建てた新しい建屋は、飯塚市上三緒の西田キヨ子様のご寄付により資材を購入し、NPOドングリが設計・施工して平成26年3月に完成したものである。この連結建屋は、敷地の北側に新しくできた大屋根、新屋根の完成後は、利用回数も減り注目度も下がっていた。そんな折に、熊本県宇城市三角町波多の宮田農園の写真が目にとまった。場面は熊本大学教育学部付属小学校PTAホームページの「宮田農園にて食と農の体験塾」の1年1組の活動だった。写真をひと目見るなり、板張り、これだと思った。完成してみると、前とは景色が全く違って見えた。やっぱり板張りは正解だった。9月18日の幼児と児童のための野菜作りの開講式は新しい板張りで行われた。目の前に畑と野菜が見える場所で野菜作りの始めの式ができるというのは臨場感いっぱいで嬉しいものである。10月22日は、初めて保育所、幼稚園、認定子ども園の先生方とご家族を対象にピザ焼き体験会を初めて企画した。幼児教育の関係者に生活体験学校をよく知っていただきたいという希望を込めてのイベントだが果たして何人来ていただけるであろうか。 |
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(飯塚市庄内生活体験学校々長、平成29年 10月14日) |