校長日記2
風呂釜を作る
 平成27年4月から向こう5年間、NPOドングリが恷s庄内生活体験学校の指定管理者としてこの施設の管理運営にあたることになった。不肖正平辰男が代表者として、その任に当たることとなった。ここにいたる間の経過は、追々書くことにして、今回は標題の「風呂釜」について書きたい。
 こと生活体験学校のことで以前から気になっていたことはいくつかあるが、中の一つが風呂釜のことである。風呂釜は合宿生活に必須不可欠なものである。そもそも、生活体験学校の風呂釜の性能が浴槽の規模に見合っていないという根本的な問題があった。生活体験学校の浴槽は家庭用の浴槽のおよそ3倍ある。この浴槽に溜めた水を、現在の風呂釜で湧かしているのだが、いかにせん性能が釣り合っていない。今までの風呂釜
釜を炊き続けなければ風呂は沸かない。結果として、風呂釜自体の疲労度はひどくなる。釜の底を覗いてみたら、火床の通風を確保するための鋳物の桟は熱で割れて二つの部品になっていた。この釜を新品に替えると仮定して見積もりを取ってみたら約12万円かかるという。12万円が高いか安いかは別にして、新品に替えてみたところで風呂釜の性能と浴槽の容量のアンバランスは解消しない。例えていえば、家庭用の鍋で30人分の味噌汁を作るようなものである。今さら言うのもおかしな話だが、よくも長い間この釜で風呂を湧かしてきたものである。もっとも、この釜は薪と灯油を併用できるように作られていて、薪と灯油を同時に焚き続ければ使い勝手は今より少しは良いであろうことは確かである。風呂釜に併設して灯油タンクが2つあったが、祝原さんが点検してくれたところ、中の灯油はかなり古いもので水と油に分離していて、このまま焚くことはできそうにない。灯油を抜いてポリタンクに移してみたら5個分あった。買い置きのポリタンクでは足りずに新たに2個を買い足した。灯油タンク2本は取り外したが、いつでも元通り据え付けできるようにして作業棟に収納してある。課題は、この釜に代えてどんな釜を据えるかである。わたしにも確かな思案はなかったが、単純な構造にして、なおかつ酷使に耐えて修理も簡単にできるような釜にしたいのである。とはいえ、「考え方」だけでは道具にならない。目線の向くところは作業棟に置いたままのドラム缶1本であった。このドラム缶は村上哲二前副理事長が、知人に頼んで手に入れてくれた2本のうちの1本である。1本は竹炭焼き用に加工されて炭窯に使われていて、1本が残っていた。ドラム缶1本を作業棟から運んできて風呂釜の近くに据えたものの、ドラム缶に残る油の臭いは強く、とてもこれで湧かしたお湯に子どもを入れることはできない。工夫の思案は、ここで止まった。据えたドラム缶のそば近くに焼却炉が座っていた。かつては、畑の近くに据えてあって紙などのゴミ焼却に使われていた。小規模の焼却炉は大気汚染の原因になるとして使用が規制され始めた時期に使われなくなった。大変重いもので現在地に移すのも大変だったという代物である。誰が言い出したのか、焼却炉を釜に使おうということになったらしい。「・・らしい」というのは、私が見た時は焼却炉の煙突を切り落としているという場面だったからである。やがて、煙突を切り落とした焼却炉が出現し、そばにはドラム缶が座っている。しかし、ドラム缶の油の臭いを解決しなければ前へは進まない。ここでまた、工夫の思案は頓挫した。やがて、山口正則さんに電話しようという話になった。山口正則さんは嘉穂郡桂川町にある日本スピン株式会社九州工場で働く技術者である。山口さんは生活体験学校の取り組みに長いこと貢献してもらっているNPOドングリの会員でもある。依頼の趣旨は電話で多くを語らぬうちに山口さんに伝わった。「5月の連休明けに出かけます」という返事を得て、心待ちに待った。山口さんによれば、以前に製作した作り置きのステンレス製の缶が会社にあるという。問題は素人が思いついた廃物の焼却炉を使おうという釜と作り置きの缶のサイズがうまく合致するかどうかである。山口さんは一度会社のステンレス製の缶を生活体験学校に運んできて乗せてみるという。手間のかかることだが、そうしてみなければ確かなことは言えないという。山口さんは連休明けに缶の現物を運び込んで合わせてみて、これでいけそうだと結論づけた。次は、この缶の底部に穴をあけバルブを取り付け、沸いたお湯を浴槽に送り込めるようにする工作が必要になる。これは山口さんでないとできない仕事である。バルブを購入したのは5月19日のことだった。さらに、山口さんは、缶の安定を強化するためにステンレス製の枠を新たに製作した。この枠で焼却炉を囲う形の型枠ができた。つまり、焼却炉の上に缶を直接乗っけるというのではなく、焼却炉と上部の缶はそれぞれ独立していて安定しているというわけである。これでお湯は沸かすことができる、バルブにコックをつけ耐熱性のホースを取り付けた。浴室の壁に直接穴を開けてお湯を入れるというのは、市教育委員会生涯学習課の許可を得てからのことになる。先ずは、少し長めのホースを取り付けて、浴室の扉を全開にして沸いたお湯を浴槽に送り込んだ。それに水を加えて既存の釜を焚くに必要な高さまで加える。浴槽内の上下二つの穴のうち、上部の穴を超えるまで加水して既存の釜を焚き始める。いわば、追い炊きをするのである。いよいよ第1回の実験である。5月24日(日)から通学合宿第2班が始まった。平成27年度、庄内小学校児童による2回目の合宿である。この日、子どもと一緒に、初めての釜焚きの試験を行った。新しい風呂釜
 5月26日、支援員の原和也君からのメールに、「今日の風呂沸かしは、タンクと浴槽に朝から水を入れておいたおかげで35分という短時間で風呂沸かしを終える事が出来ました。明日からも朝から水を入れておこうと思います。」とあった。首尾は上々だったらしい。
 釜焚きの試験から約一ヶ月の後、6月21日(日)、市教育委員会生涯学習課の許可をいただけたので、浴場の壁に穴を空ける作業を開始して、風呂釜のお湯を浴槽に外から送れるようになった。こう書けば一行の文章で終わるが、この穴を空ける作業がなかなか大変な作業で、山口さんに大汗をかかせてしまった。風呂の外で湧かしたお湯を浴槽に入れるという通常は考えにくい着想が形を成した事になる。次は、風呂の外に設けられた釜のこと、雨の場合は屋根がないのだから傘をさして風呂を焚くことになる。今は梅雨だから強い雨が降る日もある。雨模様の日は、原君は野営用のフライシートで釜全体を覆うという厄介な作業を強いられる。ここで、祝原さんの着想で屋根づくりが実行された。屋根の骨組みは鋼管を組み立てて作り、これに木材を取り付けてトタンを打った。鋼管は鶏舎の覆いに使われていたものを弟の高志が、ついこの間取り外して片づけていた品物である。鶏舎の覆いは、以前ニワトリを飼っていた時分に漁網で野鳥の侵入を防止するために作られたものであった。鳥インフルエンザ予防のために設けられた、かなり大きな覆いである。ニワトリを飼わなくなって既に何年も経っている。この先、再びニワトリを飼う予定もない。鋼管を何かに使う予定も今はない。ならば屋根作りに使おうではないかということになった。これもまた、ニワトリ小屋の覆い解体と風呂の屋根作りが初めからつなげて考えられてのことではなかった。完成した屋根はといえば、パイプを組みあげた骨組みにトタンを張った、いかにも仮設という雰囲気の堂々としたものである。作る時の段取りとスピードには、祝原さん特有の確実さと早さがある。まわりの者を誘い込んで一体にして作業を進める。これが、ピザ窯を作るときも、新しく建屋を作り足すときも、今度の風呂釜を作るときも、みんな同じ雰囲気だった。生活体験学校のエネルギーの源泉といってもよい。
 こんな面白い風呂釜には、前史がある。生活体験学校が出来る前、キャンプ場から通学するキャンプをしていたころの話である。井戸からくみ上げた水を沸かして子どもを入浴させる工夫の一つとして、学校統合で解体中のK小学校から巨大な湯沸し釜をもらってきてキャンプ場に据えた。早速、火を焚いて湯を沸かしたのだが、錆だらけの釜では赤茶けたお湯しかできない。これでは、子どもを入浴させるわけにはいかない。何度も沸かしてみたが、いっこうきれいな湯にはならない。思案のあげくに、村上哲二先生(当時、庄内小学校教諭)の発案でラジエーターを車の解体業者から買ってきて風呂を沸かそうということになった。古いラジエーターを3つ買ってきて、長年自動車工場に勤務している高木さんにプロの技でつないでもらった。連結された3つのラジエーターを湯沸し釜に鉄棒をわたして吊るした。汲み上げたばかりの井戸水は冷たい。その水を1つ目のラジエーターに入れる、やがて3つ目のラジエーターから出てきたときは丁度良い湯加減になっていた。最初は警戒していた女子も入浴してみて、「これは、良い!」ということになった。ラジエーター仕掛けの風呂の出現である。こんな発想は村上先生にしか生まれない。私などは最後にラジエーターからお湯が出てきて、やっとのことに思案の意味が分かったような次第である。かれこれ30年も前のラジエーター仕掛けの風呂作りという「遊び心」と「やってみる」という試みがあったから、今回の新たな風呂釜作りは、実用化までたどりつけたと私は思っている。加えて、人と人との連なりのようなものを感じた。ステンレス製の釜の工作と、最後に浴場の壁の穴あけにまで大汗をかいてくれた山口正則さんは、くだんの村上哲二先生の娘婿である。その村上哲二先生は平成24年4月8日に亡くなった。先生と最後に言葉を交わしたのは私であった。お見舞いに何度もうかがったわけでもない私に、今生の別れの言葉をかけていただいたこと、ありがたいご縁であった。今となっては叶うよしもないが、この風呂釜を村上先生に見てもらって、一言「よくやった!」と言ってもらいたかった。
6月27日(土)、生活体験合宿第4班の風呂沸かしが、完成した風呂釜の初めての使用であった。この風呂釜がNPOドングリによる生活体験学校の指定管理開始のシンボルのような気がしてきた。 
お湯を沸かす
効率よくお湯が沸いた!!
(飯塚市庄内生活体験学校々長、平成27年7月7日)